英語の料理教室と「花子とアン」終わり

画像


きのう(9・26)は英語の料理教室 モロッコ人のアマル先生、先生のお母様もモロッコからきていらして、いろいろとお手伝いなさり、私たちただみるだけ。

人参をゆでて調味料とかお酢にマリネするもの

ミンチ肉団子とじゃがいものはいったケフタ(シチューのようなもの)

パンケーキ はちみつを添えて食べる

モロッコの料理では必ずコリアンダーとパブリカ、クミンを使うとのこと。
体にやさしい料理であり、ケフタもコンソメとかスープのもとを使わないけれど、トマトペースト、上記のコリアンダーなどと塩、こしょう、ニンニクで味がついているがおいしい。
本当にいやされる。

先生のお母様が焼いたパンもおいしかった。
なにより先生の人柄がチャーミング!!!

先生とお母様をみて思い出したが、母が今頃生きていたら、私の今のライフスタイルをみてどんなに喜んだだろうと思う。
母は私がピアノと翻訳しかしないので、もっといろいろなことすればよいのにと思っていた。
もっとも主人もいたし、時間も束縛されていることもあったが。
主人の他界後(2012年4月8日)、2013年夏にようやく立ち直り、何とかピアノと翻訳が少しではあるが前よりレベルアップしているのを感じた。少しは余裕ができ、ピアノなど以外のこともしよう。主人はいないので、時間を自由に使えるし、主人の生前より多彩な生活を送ろうと漠然とおもった、「花子とアン」にもあるように死は自分で乗り越えないと前にすすめないし、肌で感じた。主人がいないからといって、これからほかの面で幸せになる権利はいくらでもあるとも。
そこでこの料理教室にいって、料理の復習は気の向いた時しかしない不真面目なせいとであるが、英会話は思い出し、雰囲気は楽しんでいる。

主人は本が嫌いであった(歴史や、哲学、専門書ならok)そこで昨年秋から本を文庫本や新書本を買って、それ用の本棚がいっぱいになった。しかし翻訳はinputしたものしか、outputはでてこないので、本を読むのはプラスになると思うのだが、現に翻訳のスピードはあがったし。いろいろと忙しいので、ツン読もおおくなり、何とかしなければ。cafeにもちこんで(どこかの帰りに)読んでいることが多いが、

旅行にはいく予定である。
しかしジムに毎月お金をはらって、ストレッチ系のレッスンを受けているが、このところピアノの本番や、結構でることもおおいので、さぼり気味。これは反省している。

しかしエッセイ教室(通信教育)で上記の料理教室のことをかいてみたが、うまく書くのに四苦八苦した。

今日で「花子とアン」は終わった。翻訳者として、花子のアンが出版されていく過程をみるのは興味があり、また私は医学の翻訳で、文芸とはちがうが、文芸やるにはセンスとか才能が必要だなと思った。
白蓮の生き方が対照的にでてくるのも面白かった。それと今日の最終回で「曲がり角のさきにはいいものがある」という言葉も、上記のように配偶者の死という細くてあかりのない曲がり角をまがらなければない私にもぴったりの言葉であった。そう年月もたっていないので、断定的にいえないが、また新たな別の世界に遭遇したことは否めない。ただ細い道を歩くときには、無目的に歩くと流される危険があるので、しっかりと歩くとよいと思う。きっと見えない助けが感じられるし、私は感じた。

何かやっと音がつかめたラベルのクープランの墓は、これまでしたリストやベートベン、ショパン、シューマンとはちがう世界であるが、独特の響きが現在の私をつつんでくれた気がしたのをこの文章を書く前によたよたと弾きながら感じた。なにかきのうのケフタのようなやさしい感じがした。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック